6月18日以降、私の戸籍にはガーナ在住と書かれる。
戸籍というものがある国は数少ないそうで、日本はその数少ない国の1つ。
戸籍がなかったら、どうやって国民のデータをを管理するのか・・・
答え:管理されていない
ガーナでは町や村単位でデータ帳みたいなノートを作っているところもあると聞いた。戸籍って自分の存在を明らかにするためのものっていうイメージだが、これが存在しない国では自分が生きていたかどうかの証は、ホントに人々の記憶の中にしか残らなくなるんやよなぁ。それはそれで有りな気はするけど、やっぱり自分がエイズ対策隊員として活動するとなると、戸籍のようなものがあってほしいナ・・・戸籍作りから始まるってのもなかなか大変なことやしね。。
昨日の表敬訪問の記事が新聞に載りました。中日新聞では、少し私について書いてもらっていました。ただ「HIVウイルス対策」でなくて、「エイズ対策」なんですがね・・・
四日市市長と三重県副知事への訪問。
協力隊活動は政府の支援と国民1人1人の理解なしには成り立たないということで、この表敬訪問を毎隊次行っている。
ちょっと緊張した。応接室に通され、市長ってどんな人だっけ??と思い出してみる。
なかなか気さくな感じの方だった。
けど、もう少しHIV/AIDSについて関心を持っててほしかったというのが正直な感想。「HIVを早く"撲滅”しないと・・・」という発言を聞いた時は、思わず反論しそうになったけど、いけないいけない、、相手は市長・・・!と言葉を飲み込んだ。
アフリカの一部の国では、HIV感染率が30%を超えている。3人に1人はHIV陽性者ということ。HIVを撲滅なんていうことは、もはや有り得ない。撲滅=1/3の国民に死ねと言っているようなもの。当事者たちが聞いたら、どう思うだろうか。今ではHIVは共存していかなければならない、共存できる時代になっている。
もちろん、市長がこんな意味まで考えて発言したとは思わない。政治家の発言って、すぐあげ足とられるから、うかつには発言できないし難しいんやろうな。別に市長を咎めるつもりはないが、日本ってやはりHIVに関しては超後進国なんだということを実感してしまった。
午後の県庁訪問では、副知事の前でカミカミで自己紹介をし、『みえ国際協力大使』というたいそうな名前の役割に言われるがままに就任し、いくかの新聞社記者の取材を受けた。
・・・こんなんでいいんだか。。
そして、今日も何の準備もできないまま貴重な1日が過ぎ・・・
あと日本滞在6日!!
段ボール1個。16kg。
EMSやハイセキュリティ郵便は高いので、もちろん普通航空便です。
約2週間かかります。
船便だと安いけど、数か月かかるかもしれません。
なので、航空便にしました。
さてさて・・・気になるお値段は?
¥39,000 デス。
・・・約4万・・・・・・・・・・・・・・・・
中に詰めた物と言えば、、
エイズの資料(無料)、助産関係の本(5000円)、スープやアクエリなどインスタント食品(1500円)、多少の衣類、包丁 etc
アフリカ、遠いんやなぁ・・・
松本、長野、白馬と回ったんやけど、残念なことに土日は雨降り。
時々晴れ間が顔をのぞかせることもあったけど、、もう梅雨??
今の季節、白馬はとっても緑緑緑になってきてキレイ。
白馬は私が大好きな場所の1つ。
ホントは栂池とか登りたかったんやけどなぁ。自然侮るべからず。。
楽しみは2年後に持ち越し。
森の中のかわいい教会↓
ずっと行ってみたかった安曇野ちひろ美術館↓
ほのぼの・・・
すんごい久しぶりにアマガエルを触りました↓
久しぶりに自然に触れたよーな・・・
いやいや、こないだまで大自然の中で生活してたか。。
もう訓練所の生活がかなり昔のように感じてしまう。あの生活は夢かうつつか・・・英語だけは夢では困るんやけど!
まぁ、とにかく日本の自然も美しい。
6/7 青年海外協力隊派遣前訓練修了式
修了証書と隊員章をもらい、これで隊員候補生から隊員へ。
10日後には日本からガーナへ赴任することが決定しました。
泣けた。泣けてきた。泣いた。泣いた。泣いてしまった。
やっと終わる!っていう気持ちもあったけど、やっぱりいざ終わるとなるとどっと寂しい気持ちが湧いてきた。
いろいろ辛いことも多かったこの訓練は、自分という人間を今一度まざまざと見せ付けられた訓練だった。自分の弱いところを、自分で認めざるを得なかった。変わりたいって思っても、私はこの器でもう20数年間生きてきたわけで、そんな自分を変えることなんてなかなかできなかった。
何が成長しただろうか。
まずは語学。これはちょっとは伸びたかもしれない。と言っても、日常生活をスムーズに!なんて状態には、足元にも及ばないが。。
エイズについては勉強していく上で考えは深まった気がする。
なんだかんだ言って、65日間一度も体調を崩す事なく過ごしてこれたということは、一応ある程度の適応能力はついたのか。ストレスフルな状態にあっても、私の場合、他のことで紛らわしたり、寝ればなんとかなるってこと。
あとは何だろう。
あとは何だろう。
あとは何だろう。
きっとアフリカに行く前に、自分という人間をもう一度見つめなおすという機会をくれたんだろう。
エイズ対策補完研修の時にも稲場さんがおっしゃっていた。
アフリカに行く自分とは何者なのか、なぜ自分はアフリカに行くのか、アフリカにおける自分とはどういう存在なのか。答えなんて、まだ出てない。でも答えを導き出すきっかけを与えられたような気はする。
これからは今まで以上に、自分との戦いになるんだろう。
その状況に耐えられる、立ち向かえる自分になりたい。
NTCの訓練で出会ったたくさんの皆さん、どうもありがとう。
そして、これからも付き合っていきたい、かけがえのない人たち、これからもよろしく。