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生活のことや仕事のことなど、日々の足跡を少しずつ残してます。
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帰国して2年が経ちました。
ガーナに居た2年も過ぎてみれば早かったような気はするけれど、日本でのこの2年はやはりそれ以上に早かった。結婚、就職、妊娠、出産、今この文章を作っている時も抱っこで眠っている息子がいて…と自分をとりまく環境も大きく変化した2年だったけれど、今でも時々ガーナや協力隊の夢は見る。きっと自分の中で、大切な経験になっていると思う。


そして、今でも親しくしていたNGOのパスターとは月1~2回、電話でやりとりをしている。
ただのボランティアだった私をいつまでも忘れず連絡をくれる人がいて、息子が生まれたことも孫の誕生のようにあ喜んでくれるのは素直に嬉しい。


パスターのNGOでグラスカッターのプロジェクトを日本企業の支援により始めて3年。
先日、残念な報告があった。
一時は30匹以上に増えたらしいが、最近原因がよくわらないまま相次いで数匹死亡してしまったそう。感染症か何かでしょうか。
グラスカッターは比較的病気に強いといわれるが、日本でも家畜の感染症の伝染の早さはニュースになるほど。もし感染症であれば感染が他の個体にも一気に拡がる可能性がある。
このまま全滅という最悪の事態を避けるため、泣く泣く残っているグラスカッターを売り手放したそう。
(お肉として食べる分には問題ないそう。)


申し訳ないと何度も言われた。
農業は厳しい。動物相手に今までよく頑張ってくれたと思う。
ずっとガーナにいて経過を見られなかったこちらこそ申し訳ないと思う。
売れたグラスカッターで得られた収入は、NGOの子ども達のために使うことを約束してくれた。
ずっと続けられなくなってしまったことは大変残念だが、パスターと青年ボランティアのみんなでまた協力し合って地道にNGOを活動の幅を広げていってくれると思います。

最後に支援して下さった企業の方に、今一度お礼申し上げます。


 

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先月13~23日まで、ガーナでお世話になった孤児NGOの牧師さん(パスター)が来日。
私がガーナにいるころ、Ayaを尋ねに日本へ行くから!とよく言っていたが、まさかホントに実現するとは正直思ってなかった。ガーナでは多くの人が先進国へ行くことを希望し、よく一緒に連れて帰ってくれだの、入国ビザをとる手助けをしてくれだの言われた。一緒に連れて帰ることは不可能だが、ビザの申請を手伝うことは可能。しかし、チケット代やビザ代は彼らにとって(もちろん日本人にとってもだが・・)とても高額なので、実際に行動を起こすことは難しい。だからパスターもそんな1人だと思っていた。
私が任地を去って、首都アクラで帰国準備をしている時にも一緒に日本大使館を訪問し、パスターが本気なんだなぁということは感じていたが、その時でさえホントに来るかどうかは半信半疑だった。

でも、私が帰国後もその意志は変わらず、ついに実現。
日本滞在の費用はお手伝いするが、チケット代などは援助していないし、援助してくれとも言われなかった。
私やガーナで仲良くなったボランティアたちに会うという目的だけのために、たった10日間の来日を果たしてくれた。

感謝してもしきれない。
とにかく、私にできることは日本を好きになってもらって帰ること。

結婚式に出席してくれ、スピーチや歌を頂きました。
  


      
ガーナの伝統衣装 貫禄大!  ガーナ隊のみんなと


上手にお箸も使っていました☆
ガーナ人、ガーナ食以外のものへの偏見はとても強いのだが、せっかく日本に来たのだから!といろんなものに挑戦してくれました。感服。

関西圏は金閣寺や清水寺、映画村、海遊館、動物園、実家の三重県は伊勢神宮、スペイン村、夫婦岩など、いっぱい一緒に回った。
  


きっと生まれて初めての生ケーキ…

  
両親にガーナの布で作った服やケンテをプレゼントしてくれました。

エスカレーターに乗るのだって初めてなのに、高層ビルや地下鉄、とても寒い気候などガーナでは想像さえできない初めてだらけで、きっと疲れただろうな~ 
そして、きっとガーナと日本の格差、衝撃だったと思います。彼がどのように受け止めてガーナにまた帰っていったのか、パスターの気持ち全てを知ることはできないけれど、決して来ることが容易くない遠いガーナからはるばる来てくれたこと、日本を好きだと言ってくれたことにとても感謝です。






今週、ようやく就職活動を始めました☆

月曜日、火曜日と1つずつ産婦人科クリニックに面接に行き、もう早々と、そのうちの1つの家に近い方に決定した。ぜひ常勤で・・・と言ってくれたが、とりあえずパートで雇ってもらい、いろいろ落ち着いた後、年明けくらいから常勤になろうかな~と思っている。
いやぁ、この就職難の世の中でもやっぱり医療職というのは強いらしい。面接も、志望動機うんぬんという本来の面接形式ではなく、履歴書こそ提出するもののしょっぱなから「いつから来てくれますか?」「この給料だったらどう?」みたいに採用前提に…という感じで^^;
なんか他の就活頑張ってる人に申し訳ないくらい、あっという間に終わったたった2日間の就職活動でした・・・まぁ、ラッキー♪?

仕事始めは来週月曜日の10/5~。正直、はやっ!!と思ったが、こちらの条件も結構飲んでもらったので、それ以上わがまま言えず、受諾。ま、3か月まるっと休んできたしね。。どんだけスタートを遅らせても、いざ始める直前になったら不安な気持ちになるのは同じなので、、月曜日から頑張ります。

なんと、今日でもう3か月経ってしまいました。

先月、実家のある三重から京都に引っ越した以外、それほど変わったこともありませんが、昨日ようやく失業保険の受給手続きが終了し、9/8~68日間の給付を受けることができるようになりました。本来ならもっと早く手続きができてるはずが、京都へ転居したこと、前職が国家公務員だったこと等の理由により、こんなに時間がかかってしまった・・・
ホントは受給も全額もらいたいところだが、そんなに待っていたらホントにだらだら生活から抜け出せなくなってしまうカモ(><)ということで、手続きのためずっとできなかった就活をそろそろしようかと。昨日、ハローワークで目ぼしい産婦人科を2つ見つけたので、まずそこから。重い腰を上げて、シルバーウィーク明けから始動します。


さて、引っ越したところはマンションなのでお庭がないのですが、なんか植えたい!ということで、ベランダでプチ園芸してます。では、一部~

一番の目玉はコレ!「モリンガ」

 

あるNGOの方に頂きました☆ガーナでは、子どもたちとのパーティで振る舞うボールフルーツに入れてみるなど身近に存在していた栄養たっぷりのモリンガ。いざ、自分ちの庭にあると、いつが食べ頃・・・?という感じなのですが、アフリカやインドなどの亜熱帯植物なので、これから寒くなる日本で枯れないかちょっと心配・・でも、日本の栽培人口はそんなに多くないはず!部屋の中で育てようかな~

「ブルーベリー♪」
いつ実がなるのか不明。なったらラッキー★

 



「オリーブ」
ガーナでオリーブ好きになりました**
 


でも実をならせるためには、他のオリーブと交配させないといけないそうで、鑑賞用になりそうデス・・


「ラベンダー」
花が咲くと、かすかに匂いがします*^^*

 



「芽キャベツ」
ハーブが好きだけど、いざ食卓で重宝するものも欲しい!ということで。

 

ぐんぐん大きくなってます。プランターで間に合うかしら・・^^;


近い将来、主婦生活から脱出したとしても、全滅・・・(T_T)ということにならないように頑張ります。






昨夜、孤児支援のNGOの代表者から電話がありました。

グラスカッターベビーが4匹生まれた!
さらにもう1匹、お腹が大きくなってきてて、あともう少しで生まれる!!

とのこと。

残してきたプロジェクトが軌道に乗りかけているという報告、とても嬉しかった。
朝1番にガーナからわざわざ電話をくれたことも、とても嬉しかった。
次は何匹生まれるかな^^
昨日、日本に帰ってきました。

ドイツ経由で帰国。フランクフルト駅
 
 

今日から2日間は帰国後研修を受け、明日実家に帰ります。

違う国に派遣されていた会う人、会う人に「黒くなった!」と言われて、分かってたショックを受けながらも、ガーナに赴任する前の2か月ちょっとの研修で仲良くなった人たちと再開して、それはそれで懐かし楽しい☆

日本の感想
1、時差ボケが強烈。眠いというか、特に午後は体がふわふわして、奇妙な感覚。
2、やっぱ電気の明るさは素晴らしい!
3、シャワーが出る。しかも熱湯が出て、水の勢いもスゴイ!
4、日本人の奇行(今の私から見ると・・・電車で皆が皆、携帯触ってるとか)が目につく。
5、今まで周りがガーナ人だったから、ふと感じたことをポロっと言っても誰にも分らなかったのに、ここは日本なので、迂闊に独り言とか言えない。
6、歩くスピードが速い。日本人、ぶつかっても、人を押しのけても謝らない。(東京だけ?)
7、テレビに知らない人がたくさん出てる。
8、ほとんどの物が高い。寿司1艦、1400円にはビビりました・・

半年前にも一時帰国してるけど、その時以上に逆カルチャーショックを感じている気がする。。研修の中でも、1~2か月はゆったりと日本に適応するようにと言われました^^;ガーナにいる時は日本人の私を強く感じていたけど、日本にいると日本人な自分を少し遠く感じるような。

いよいよガーナを去る日が来ました。

 
 同期のみんなと

今は「もう2年経ったんだな~」という一言の感想。
当日になっても、まだあんまりガーナにもう帰ってこないという実感がない。

なので、とりあえずJICAと配属先に提出した最終報告書を一部添付してみます。

「ガーナでの生活は、辛いこともたくさんあった。悲しくて、悔しくて、泣いたこともあった。でも結果として、この2年のガーナでの経験は自分にとってプラスになったと思っている。「楽しいけど辛かった」ではなく、「辛いけど楽しかった」と言える。
任期終了の2ヶ月前、ある本で次のような内容を読んだ。「日本人は日本人のようであって初めて価値があり、ガーナ人はガーナ人のようであって、初めて価値がある。」歴史も文化も気候も全てが異なる西アフリカのガーナの人々が、日本人と同じように考え行動するとしたら、この2年間で抱えたいくつかのフラストレーションは無かったかもしれない。しかし、いろんな周囲環境の影響を受けながら生きているのが人間だとしたら、全てが自分と同じである方が不気味であり、人間らしくないと言えるかもしれない。そして、ガーナ人がガーナ人のようでなかったら、今のガーナは存在していないだろう。今まで関わってきたものほとんどを、きっとこれがガーナ人のやり方なのだと思えるようになった。ガーナに来て、1年10カ月で溜まってきたモヤモヤが、ようやく残り2ヶ月の時点で晴れてきた気がした。違う考え方の人間だからこそ、成り立った授受作用は確かにあったと思えるし、私自身の思考にも確実に影響を与えてくれたガーナの人々だった。日本では病院という常に忙しい現場で働いていたためか、赴任当初から何ができるだろう、何かしなきゃ、私がここに存在する意味のようなものが何か欲しい…といった思いで、活動をしてきた。やって良かったと思えること、やらなくても良かったかなと思うこと、やらなければ良かったと思うこと、やりたくてもできなかったこと、色々ある。でも同時に、たった2年という短い期間で、結果が出るような事にどんな深みや重みがあるだろうかということを思うようになった自分もいる。それよりもガーナという場所に馴染み、人々の間に溶け込み、生活、活動を共にするための大切な2年間であったと思う。その中で、少しだけでも何かのきっかけになることをここに残せていたなら、それで良かったのだと思うから、今はあまり後悔はない。それよりも2年間をここで過ごせたという満足感の方が強いのかもしれない。だから、これから日本に帰って、ゆっくり自分のガーナでの2年間を振り返ってみたら、もっといろんなことに気付くのだろう。
 国際協力について、援助の在り方について、この2年間いろいろ考えさせられたが、結局私自身は、発展途上国で働くことに関心を持てるし、自分と価値観や文化の違う人々と交流するのが好きなようである。だが、今度この場に戻ってくるのは、もっと自分の専門性を発揮できるようになってからだというのも、この2年間の青年海外協力隊後の結論である。私は臨床経験2年という短さで、協力隊に参加した。今の私にしかできなかったこともあるかもしれないが、現地の人々に説得性を持って何かを伝えるには、とても未熟だったと実感している。知識だけでは、現地の人々の積み重ねてきた経験にはかなわず、技術援助どころか、対等にもなり難い。帰国後は、ガーナで知った人間らしい母子の強さ、ガーナで再認識した助産という仕事の魅力を糧に、助産師としてもっと経験を積みたいと考えている。そして、その傍ら国際NGOなどとも接点を持ちつつ、国際協力について考える機会を持ち続けたいとも思っている。」



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2007年6月18日から青年海外協力隊(19年度1次隊)、エイズ対策で、ガーナへ派遣されていました。
今は日本でまた病院勤務。
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