いよいよガーナを去る日が来ました。
同期のみんなと
今は「もう2年経ったんだな~」という一言の感想。
当日になっても、まだあんまりガーナにもう帰ってこないという実感がない。
なので、とりあえずJICAと配属先に提出した最終報告書を一部添付してみます。
「ガーナでの生活は、辛いこともたくさんあった。悲しくて、悔しくて、泣いたこともあった。でも結果として、この2年のガーナでの経験は自分にとってプラスになったと思っている。「楽しいけど辛かった」ではなく、「辛いけど楽しかった」と言える。
任期終了の2ヶ月前、ある本で次のような内容を読んだ。「日本人は日本人のようであって初めて価値があり、ガーナ人はガーナ人のようであって、初めて価値がある。」歴史も文化も気候も全てが異なる西アフリカのガーナの人々が、日本人と同じように考え行動するとしたら、この2年間で抱えたいくつかのフラストレーションは無かったかもしれない。しかし、いろんな周囲環境の影響を受けながら生きているのが人間だとしたら、全てが自分と同じである方が不気味であり、人間らしくないと言えるかもしれない。そして、ガーナ人がガーナ人のようでなかったら、今のガーナは存在していないだろう。今まで関わってきたものほとんどを、きっとこれがガーナ人のやり方なのだと思えるようになった。ガーナに来て、1年10カ月で溜まってきたモヤモヤが、ようやく残り2ヶ月の時点で晴れてきた気がした。違う考え方の人間だからこそ、成り立った授受作用は確かにあったと思えるし、私自身の思考にも確実に影響を与えてくれたガーナの人々だった。日本では病院という常に忙しい現場で働いていたためか、赴任当初から何ができるだろう、何かしなきゃ、私がここに存在する意味のようなものが何か欲しい…といった思いで、活動をしてきた。やって良かったと思えること、やらなくても良かったかなと思うこと、やらなければ良かったと思うこと、やりたくてもできなかったこと、色々ある。でも同時に、たった2年という短い期間で、結果が出るような事にどんな深みや重みがあるだろうかということを思うようになった自分もいる。それよりもガーナという場所に馴染み、人々の間に溶け込み、生活、活動を共にするための大切な2年間であったと思う。その中で、少しだけでも何かのきっかけになることをここに残せていたなら、それで良かったのだと思うから、今はあまり後悔はない。それよりも2年間をここで過ごせたという満足感の方が強いのかもしれない。だから、これから日本に帰って、ゆっくり自分のガーナでの2年間を振り返ってみたら、もっといろんなことに気付くのだろう。
国際協力について、援助の在り方について、この2年間いろいろ考えさせられたが、結局私自身は、発展途上国で働くことに関心を持てるし、自分と価値観や文化の違う人々と交流するのが好きなようである。だが、今度この場に戻ってくるのは、もっと自分の専門性を発揮できるようになってからだというのも、この2年間の青年海外協力隊後の結論である。私は臨床経験2年という短さで、協力隊に参加した。今の私にしかできなかったこともあるかもしれないが、現地の人々に説得性を持って何かを伝えるには、とても未熟だったと実感している。知識だけでは、現地の人々の積み重ねてきた経験にはかなわず、技術援助どころか、対等にもなり難い。帰国後は、ガーナで知った人間らしい母子の強さ、ガーナで再認識した助産という仕事の魅力を糧に、助産師としてもっと経験を積みたいと考えている。そして、その傍ら国際NGOなどとも接点を持ちつつ、国際協力について考える機会を持ち続けたいとも思っている。」