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生活のことや仕事のことなど、日々の足跡を少しずつ残してます。
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本当ならば、4/24~10日間の予定でMaliに行くはずだった…ケド、せっかく休暇も取ったし、こうなったらガーナを満喫してやろうと、Final Trip in GHANA してきました。

任国外旅行には行けないけど、ここはワンアフリカ。隣の国に行くことは許されなくても、陸地続きなんだから、見ることはできる!ということで、右隣のトーゴとの国境~左隣のコートジボアールの国境へと東西にガーナを横断するルートを選んだ。

  


首都アクラから海沿いに進み、途中のビーチや村に立ち寄りながら、右隣のトーゴとの国境の町アフラオを目指した。

  


海沿いの村人は漁業で生計を立てている。

   


スコールが来る直前の空。実はものすごい突風が吹いていて、飛んでくる砂で目を開けていられない状態だけど、写真に撮ってみると、空の色の移り変わりがキレイでした。

 


ガーナとトーゴの国境in Aflao。

 

ボートでトーゴとガーナを行き来する人々もいる。そして、トーゴは旧フランス植民地のため、国境の町ではフランスパンが買える★これがとっても美味しい!

   

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先週金曜日、北部州Tamaleで単車安全講習会があった。活動の中で村を巡回する必要が在り、単車を貸与されている隊員は、半年に1回、つまり2年に4回、この講習会への参加が義務付けられている。私にとっては、もう4回目の単車講習会。

 

 

ガーナ協力隊員の中で、19年度1次隊は1番古い隊次となり、役員もするし、もうすぐ帰国する立場から、後輩隊次に向けてメッセージなども要求される。ガーナに来て4ヶ月目で初めて参加した1回目の講習会もそんな遠くはない思い出だが、あと2ヶ月弱で終わるんだということを実感した。

 

 

一緒に参加した同期と

 

同行した調整員に言われた一言、「1日1日を大切にね」という言葉が、なんだか心に染みた最後のバイク講習でした。

 

先月末、20年度4次隊が到着。その中に、感染症対策という職種で、Nkawieに赴任する隊員がいる。私と同じGhana Health Service配属で、エイズ対策の私と職種は違うが、私もエイズに限って活動しているわけではないし、こんな小さなは配属先に2人もボランティアを賄う余裕はないということで、、一応私の後任も兼ねてもらう予定。すでに確保されてしまっている私の後任に関しては、任地変更ということになる。


 
今は私と同じホストファミリーでホームステイ中。


私が1年9ヶ月一緒に暮らしてきた18年度3次隊の先輩隊員(彼女は任期を1ヶ月延長したため、今月末に帰国)とほぼ入れ替わりで、今度は新しい彼女と、私が帰国までの1ヶ月間を一緒に住むことになる。今まで一緒に住んできた彼女は家を空けることが多かったので、常に2人というわけではなかったが、私の2年間のガーナライフはずっと誰かと同居というスタイル。人種も文化も価値観も異なる国で、同郷の言葉が通じる人がいるというのは心強くもあるが、その反面、いろいろなプレッシャーを感じることもある。配属先も違うし、英語や現地語を話せるレベルも違うし、それぞれ活動のやり方も違う。比べる必要はないと頭では分かっていても、距離は近すぎるし、比較できる相手もたった1人しかいない訳だから仕方ない。ガーナ隊には何人も同居スタイルで生活している隊員がいるので、時々それが辛いという話を耳にする。そういうの体験も経て、より自分を知り、また精神的にたくましくなっていくんだろうとも思うけど。幸い、私自身はそれ程、同居のプレッシャーに悩まされることはなかったが、自分がどのようなエネルギーを人に対して発しているか、自分ではなかなか量れない。今まで一緒に暮らしてきた彼女は、センシティブな一面もあるが、よく喋りユーモアのある、さっぱりした良い感じの人で、私としてはこの人と同居でやっぱり良かったと思える人なのだが、彼女も同居によるプレッシャーを多少なりとも感じていたかもしれない。

1ヶ月間だけの短い期間だが、次の新しい人ともお互い快適に、楽しく過ごせるといいな~

ガーナでの私の仕事のメインになっているのが妊婦健診。週に2~3日はヘルスセンターや病院を回って、妊婦健診のお手伝いをしている。でも、現地語が流暢には話せないので問診はできず、触診と聴診をやらせてもらっている。日本と一緒で学生が実習に来ている時もあるので、学生に診察の方法を指導したりもする。一度ガーナの助産学校を覗いてみたいと思いつつも、実現には至ってないのだが、一体ガーナではどんな教え方をしているのだろう…と不思議に思う時がある。学生たちは、みんな同じような方法で診察しようとする。私からしたら、それで何を見ているのだろうか?と思うようなやり方なのだが。。診察の仕方にはいろいろな方法があって、私の知っているものが全て正しいとは思わないし、日本でも○○式と日本人の名前が付いているように、ガーナにはガーナのやり方があるんだろうか。


妊婦健診の様子


でも、先日これはヒドイ…と思うケースがあった。

こちらの妊婦は自分が妊娠何週になるのか、全然知らない人が多いので、私は自分が診察する前に「妊娠何か月になる?」と聞くようにし、知らなかったり間違っていれば、診察後に伝えるようにしている。
その妊婦さんは、私の問いに対して、「妊娠8か月」と答えた。母子手帳には毎回健診時に、妊娠週数、子宮底長、胎児心音などを記入するのだが、なるほど、彼女の母子手帳にある健診時記録には子宮底32cm、胎児心音(+)と、きちんと8か月と示唆されるような記録があった。今までに8回も妊婦健診を受診している優秀な妊婦だった。


その次に、私は胎動があるかどうかを尋ねる。
彼女の答えは「少し動く」。


その後、診察を始めたのだが、すぐ妊娠8か月を疑いたくなった。彼女は太っているので、見た目的には妊婦と言われたら疑わない。でも、そのでっぷりしたお腹は、どれだけ触診しても子宮と思われるもの、胎児と思われるものには触れない。妊娠8か月ならば、赤ちゃんの頭、背中、手足をお腹の上から触診出来るはずなのだが、何にも触れられない。空っぽなのだ。

考えられることは2つ。妊娠3か月未満or妊娠していない。

そこで、聞いてみた。
「生理が来たのはいつ?」
「2日前」


…絶句。そして苦笑。
ってか、今までの健診は何だったのか??



生後1日の赤ちゃん

もちろん、日本のようにドップラーやエコーがあるわけでもなく、すべてマニュアルのガーナ。全てをきっちり把握することは不可能。一切の機械がなくても、自分の手と感覚で、妊産婦の診察をしているガーナの助産師を尊敬する。でも、これはね…。

これが、ガーナの地方助産師のレベルだとは思いたくないけれど。。

 

MALI
西アフリカの砂漠の古都。

JICA協力隊には、任国外旅行という制度がある。2年間の任期の中で、20日間までの長期休暇をとることが許され、その間に任国以外の一部の国への旅行が許可されている。ただし、行ける国は、その任国により異なり、私がいるガーナの場合は、マリ、ブルキナファソ、トーゴ、イギリスの4カ国への渡航が可能。

この4国の中で魅力的なのは・・・と言えば、マリとイギリス。でもイギリスは、帰国してからも行く機会があるかもしれないし、、と思うと、この機会だからこそ行っておくべきはやっぱりマリ!
アフリカにも興味がなくて、遺産にも興味がない人にとっては、マリもガーナも大して変わらず、そんなに好奇心もそそられない・・と思う。ってか、大半の人がそうだと思う。でも遺跡好きの私には、たまらなく魅力的(*><*)、そして一応2年も西アフリカに住んでる私としては、ガーナ以外の西アフリカ諸国も見てみたい!と思うワケであります。

マリはココ↓



今まで2度ほど任国外旅行をしようと試みてきたけど、大統領選挙による移動規制だったり、自分の療養一時帰国だったりで、ことごとくチャンスを逃してきた。気がつけば、あとアフリカに居られるのも2ヶ月。もう最後のチャンスやん!ってことで、同期と旅行計画を練り、4月末に10日間で決定!!

サハラ砂漠、一度は見てみたい


・・・したハズだった。
配属先の許可も得て、JICAの承認も得て、旅行会社と連絡を取り、あとはその日が来るのを待つだけ★のハズだった。

私は任国外旅行の月に見放されているらしい。もしくは、ガーナの月に好かれすぎているのか・・?
今週、旅行会社から「ガーナからマリへ行く飛行機が運航を停止した」との連絡。厳密には、マリに行くには、ガーナ→ブルキナファソ→マリの渡航経路なのだが、今回、ガーナ→ブルキナファソ間の路線が停止になってしまった。一応それでも、他の経路で行く方法はある。ガーナ→コートジボアール→トーゴ→ブルキナファソ→マリという長い経路。しかし、ここで問題は、この経路には治安上行く事が許可されていないコートジボアールが入っていること。飛行機から降りるわけではない。ただ経由するだけのこの国のために、ガーナ隊員はマリ、ブルキナファソ、トーゴに行く事が、もはや出来ないというわけだ。ガーナ隊に許された旅行先はイギリスのみ。アフリカにいるのに、イギリスのみ・・・。


もう、諦めますよ。
でもやっぱ、トゥンブクトゥとサハラ砂漠、見たかったなぁ・・・

孤児支援のプロジェクトの1つとして行っているグラスカッター飼育。先月末にはさらに増やし、今計11匹を飼っている。12月に購入した妊娠しているはずのメスは未だ出産せずだが(お腹の大きさも変わっていないので、流産したか、もともと妊娠していなかったか。。)、こないだ購入したメスは明らかにお腹が大きいので、近いうちに出産するんじゃないかと思われる。プロジェクト自体は、今のところ、どのグラスカッターも病気をすることなく、順調だと思う。

 

このプロジェクトを申請したのは去年の6月末。で、支援金が下りたのは11月末。お金は米ドルでガーナにやってきたのだが、もちろんガーナで米ドルは流通していないので、現地通貨セディに換金。それが12月上旬。この間に何があったかは、日本にいる人の方が詳しいと思うが、為替の大変動があった。日本円はドルよりも強く、ドルはセディよりも強い。よって、外国からお金を頂いた私たちはラッキーなことに、申請時よりも日本円にして、約7万円も多く頂けることになった。

そして、これも幸いと言うべきだろう。見積もっていたよりも、少し安くいろいろな物品が購入できたので、グラスカッターも予定より1匹多く飼い、飼育小屋も1つ多く建てた。でも今、それでもなお、だいぶお金が余ってしまったいる。この余ったお金をも、子どもたちのために有効に使われるべきだし、NGOのメンバーとしても、今までお金がない、無い、ナイ!状況でやってきたわけだから、今ある資金を大事に使いたいという思いが強いのは十分理解できる。

しかし、この小さなプロジェクトの資金は、私が帰国するまでに全て使い切らなければならないことになっている。通常、こんなに為替が変動することはないので、こんなに余るということはないのかもしれないが、状況がそうであっても、使い切らなければならないという事情は変わらない。そして、そのお金は申請したものの通りに使われなければならないというのがルール。

申請した物…グラスカッター、飼育小屋、飼料、飼育備品など。
敷地面積の問題で、これ以上グラスカッターや飼育小屋を増やすのは不可能。備品も、必要なものはほぼ揃った。あと、使えるとしたら飼料…?でも今残っている約7万円を全て飼料に使う??そんなの馬鹿げている…第一、そんなにたくさんを一度に買っても腐る。

飼料の草とメイズ(とうもろこし)
  

さてはて、どうしようかとNGOメンバーといろいろ相談した結果、これからも飼料代は必要になってくるから、今お金があるならば、少し土地を買い、飼料であるキャッサバとメイズを自分たちで栽培すれば、自給自足で飼育ができるし、作物が余れば、子どもたちにも分けてあげられるのでは?という結論に。キャッサバやメイズはガーナで非常によく耕作されているし、今後のプロジェクト運営を考えた時に、私もそれが良い方法だと思った。

しかし、JICAの答えはNO!
なぜならば、農作をするということは申請書に記載されていなかったから。そりゃそうだ。申請時には為替の暴落なんて予想だにしていないし、こんなにお金が余るとは思ってなかったのだから、土地を購入なんて書くわけがない。でも、JICAの答えはNO.


仕方ない。JICAあっての、このプロジェクトだから、他の手立てを考える他ない。ということで、先週はそのために奔走した。結果、JICAも不可抗力ということで妥協案を提示し、農作はダメだけど、グラスカッター以外の孤児支援に使っても良いということになった。1つは今少し始めているマイクロファイナンスの拡大。あとはこれから、またNGOメンバーと考える必要がある。タイムリミットが近づいているので、急がなければなぁ…(><)と思いつつも、大切なお金、やっぱり無駄には使いたくないので、何に使うのがベストなのか、よく考えないとね。

先日、同僚の1人に言われた。

「おまえ達ホワイト(白人、黄色人種、いわゆる先進国の人々を指す)は、アフリカの人々を騙している。自分達アフリカの人々は外国に頼らずには生きていけないが、ホワイトはちっとも適切な援助をしない。今ある援助なんて、ほんのちっぽけなもので、アフリカに利益があるとは思えない。アフリカには金鉱物や農産物などたくさんの資源があって、本来豊かなはずなのに、ホワイトが全て搾取し、自分たちに残るものはほんの僅かだ。ホワイトはいつも何かを隠し持っている。ホワイトが死ねば、もっと自分たちは豊かになる。」


ホワイトを「They=彼ら」ではなく「you=あなたたち」と言った彼。私もその1人に含まれているということだ。

「そういう人もいるかもしれない。でもそれはマジョリティじゃないんだよ…」という私の弁解も彼には届かない。

「じゃあ、私が裏でこそこそ何かを隠し持っていると思う?私はここにボランティアで来ているけど、私のしていることは全く意味がない?」という言葉には、さすがに彼も1呼吸考えた。でも「意味はあるかもしれないが、少なすぎる。アフリカにとってベストじゃない。」と返された。

これだけハッキリ言われて、そして自分の母国をはじめ、先進国の人達が死ねばいいと言われて、かなり凹んだ。それまで割と仲良くしていた同僚なだけにショックだった。彼が最後に少しのフォローもしてくれなかったら、マジで泣いていたかもしれない。

でも彼が言っていることも事実だから、私にはせめてもの虚しい反論しかできない。先進国は、アフリカをはじめ開発途上国の資源を得ずには生きていけない。じゃあ、持ちつ持たれつじゃないかと言えるほど、対等な関係ではない現実。そして国際協力と言えば響きは良いが、裏を返せば国際ビジネスじゃないかとも思える援助の世界。私がやっていることがアフリカに良い影響を及ぼすなんて、何億光年もかなたの話。自分でさえ、大衆のためにならずとも、誰か1人のためにさえなれば良いよね…と大した自信もなくやっている日々の活動。同僚の給料UP?アフリカ経済の向上?国の発展?そんなものに影響を与えないことくらい分かっている。そして、私が何も隠し持っていないなんて嘘。毎月、彼らの月給よりも少し高い生活費をもらい、日本の口座には国内積立金までもらっている。この国にいたって、首都に行けば、豪華なレストランで食事もするし、旅行だってする。でも、それは彼らには言えない。厳密に言えば、日本人はホワイトではないし、アフリカを植民地支配したこともない。でも、カカオに代表される沢山の資源をアフリカから輸入し、現地の人々へのフィードバックはそこそこに、彼らには想像もできないほどの贅沢をしている。私を含め、こういう現実を知っている人であっても、それを止められないほど、私たちは贅沢の中で生きることを普遍化させている。そうでなければ、生きられないとも言えるかもしれない。

でも、やっぱり面と向かって言われたのは悲しかった。そんな風に自分たちが見られているんだということが悲しかった。
しかし、それと同時に、アフリカの人々にとって大した意味を成さない国際協力とは、している側のエゴでしかないのかもしれない…とも思う。そして「アフリカにいる自分とは何者なのか」を考えなければならないという言葉を改めて思い出す。17世紀以降、奴隷貿易に始まり、アフリカが負ってきた痛みを、一介のボランティアにそれを言ってしまう程の彼のフラストレーションを、私はホワイト代表として受け止めるべきなのだろうか。



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2007年6月18日から青年海外協力隊(19年度1次隊)、エイズ対策で、ガーナへ派遣されていました。
今は日本でまた病院勤務。
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