先日、同僚の1人に言われた。
「おまえ達ホワイト(白人、黄色人種、いわゆる先進国の人々を指す)は、アフリカの人々を騙している。自分達アフリカの人々は外国に頼らずには生きていけないが、ホワイトはちっとも適切な援助をしない。今ある援助なんて、ほんのちっぽけなもので、アフリカに利益があるとは思えない。アフリカには金鉱物や農産物などたくさんの資源があって、本来豊かなはずなのに、ホワイトが全て搾取し、自分たちに残るものはほんの僅かだ。ホワイトはいつも何かを隠し持っている。ホワイトが死ねば、もっと自分たちは豊かになる。」
ホワイトを「They=彼ら」ではなく「you=あなたたち」と言った彼。私もその1人に含まれているということだ。
「そういう人もいるかもしれない。でもそれはマジョリティじゃないんだよ…」という私の弁解も彼には届かない。
「じゃあ、私が裏でこそこそ何かを隠し持っていると思う?私はここにボランティアで来ているけど、私のしていることは全く意味がない?」という言葉には、さすがに彼も1呼吸考えた。でも「意味はあるかもしれないが、少なすぎる。アフリカにとってベストじゃない。」と返された。
これだけハッキリ言われて、そして自分の母国をはじめ、先進国の人達が死ねばいいと言われて、かなり凹んだ。それまで割と仲良くしていた同僚なだけにショックだった。彼が最後に少しのフォローもしてくれなかったら、マジで泣いていたかもしれない。
でも彼が言っていることも事実だから、私にはせめてもの虚しい反論しかできない。先進国は、アフリカをはじめ開発途上国の資源を得ずには生きていけない。じゃあ、持ちつ持たれつじゃないかと言えるほど、対等な関係ではない現実。そして国際協力と言えば響きは良いが、裏を返せば国際ビジネスじゃないかとも思える援助の世界。私がやっていることがアフリカに良い影響を及ぼすなんて、何億光年もかなたの話。自分でさえ、大衆のためにならずとも、誰か1人のためにさえなれば良いよね…と大した自信もなくやっている日々の活動。同僚の給料UP?アフリカ経済の向上?国の発展?そんなものに影響を与えないことくらい分かっている。そして、私が何も隠し持っていないなんて嘘。毎月、彼らの月給よりも少し高い生活費をもらい、日本の口座には国内積立金までもらっている。この国にいたって、首都に行けば、豪華なレストランで食事もするし、旅行だってする。でも、それは彼らには言えない。厳密に言えば、日本人はホワイトではないし、アフリカを植民地支配したこともない。でも、カカオに代表される沢山の資源をアフリカから輸入し、現地の人々へのフィードバックはそこそこに、彼らには想像もできないほどの贅沢をしている。私を含め、こういう現実を知っている人であっても、それを止められないほど、私たちは贅沢の中で生きることを普遍化させている。そうでなければ、生きられないとも言えるかもしれない。
でも、やっぱり面と向かって言われたのは悲しかった。そんな風に自分たちが見られているんだということが悲しかった。
しかし、それと同時に、アフリカの人々にとって大した意味を成さない国際協力とは、している側のエゴでしかないのかもしれない…とも思う。そして「アフリカにいる自分とは何者なのか」を考えなければならないという言葉を改めて思い出す。17世紀以降、奴隷貿易に始まり、アフリカが負ってきた痛みを、一介のボランティアにそれを言ってしまう程の彼のフラストレーションを、私はホワイト代表として受け止めるべきなのだろうか。