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生活のことや仕事のことなど、日々の足跡を少しずつ残してます。
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ホームステイ中、1日だけVeronicaの働いている小学校へ連れていってもらった。Nkawieの隣の郡の村にある小学校だった。窓やドアはないが、青空教室ではなく、屋根と壁はある教室だった。

 

授業風景↓                     英語の授業↓

       

 

この村はNkawieとは比べ物にならないくらい田舎だった。電気、水道は全くないだろう。唯一のメディカルスポットは小さな小屋の薬屋さん。医療関係者はいない。きっと置いてある薬は2~3種類と思われる。

※Nkawieはさすが郡都なだけあって、群立病院があり、そこにはドクターが1人、ナースも数人いる。隣の村、Mposatiaにはナースとミッドワイフが1人ずつ、ドクターはいない。

 

Veronicaに「日本との違いを見てみろ」と言われて、正直、自分はここでは暮らして行けないと思った。私が今まで生活してきた環境とは違いすぎる。毎日、人々は生活を楽しんでいるんだろうか。何を目標に生きているのだろうか。子どもが多いため小学校は賑やかで、皆たくましく、元気に遊んでいたが、大人たちの多くは、ぼーっと座っていたり、寝そべっていたり…。きっと自給自足の生活、働くと言えば、自分のファームで、生きていくための食料を育てるということなのだろう。朝の涼しいうちにファームで働き、昼間の暑い時間はゆっくり過ごすということか。

 
          

 

本当に貧しいのだと思う。服が破れていない人はいなかった。もう何年着ているのだろうと思わせる、赤土色に変化したボロボロの服。かなり失礼な表現なのは承知だが、その辺で身づくろいをしている子猫の方が、よっぽど奇麗に見えた。自分が生活してきた環境との壮絶な差を感じた。自分だって、この環境で生まれていたら、ネズミを捕まえて焼くのが御馳走、その他は主食のトウモロコシと芋。ファッションなんてものには縁がない。生きていくこと=食べていくこと。こんな生活をしていたに違いない。

 

主食のトウモロコシ↓     

          

この村から帰るのに、めったに通らない車を待ち、2時間半ほど待った。その間、ぼーっと村を眺めながら、この村の人たちが、日本をはじめ先進国に住む人々の生活を垣間見たら、どう感じるだろうか…等、ふと考えたりした。あまりの不公平に、怒るだろうか、それとも悲しむだろうか、それとも自分たちは自分たちの生活で良いと思うだろうか。

 

出会う多くのガーナ人から、私が2年後帰るときに、「日本へ一緒に連れて帰って」とせがまれる。半分ジョークだろうけど、少なからず、この生活から抜け出したいとは誰しもが感じているようだ。

せがまれる度に、

「ダービ(NO)」

と断るのだが、しつこく

「なんでだ?」

と聞いてくる。

「あなたの家はガーナにあるでしょ?」

と返すと、

「日本に家を用意してくれ」もしくは「日本で仕事を見つけてくれ」「おまえの夫にしてくれ」

と言う。

「メンティミ(I can't)」

「日本人は金持ってるのに、なんでダメなんだ?」

…もう途中で、めんどくさくなって、「ダービダービ」と繰り返す。

 

これから、もっと真の貧しさを目にするんだろう。私にできることは少ない。一人でも、少しでも、医療にアクセスできる人を増やせたらいいなとは思うけど、結局はお金が必要だったりする。マンパワーだけでは、どうにもならないことが多い。だから、なかなかアフリカの貧困がなくならない。アフリカの人々だって、働いてい何とかなるのなら、必死で働くはず。けど、働いても働いても、どうにもならないことを彼らは少なからず知っていると思う。すべては金だなんて思わない。でも「お金」っていう存在は、やっぱり大きい。

 

私、ガーナで何ができるんだろうか…

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私がこれから2年間過ごす町:Nkawie(ンカウィエ) 

AshantiAtwima Nwabiagya District(アシャンティ州 アチュイマ・ンワビアジャ郡)

という地域のCaptal City(県庁のようなもの)になっている。しかし、
県庁とは言っても、まったく都会ではなく、村と呼ぶにはもうちょっと発展しているかな~という感じの町。特に私が働くGHS(Ghana Health Service:保健局)の周りは、何もない。町一番の繁華街までは3キロ程度なので歩けない距離ではないが、なんせ凸凹オフロードなので疲れる。
まぁ、でもよく歩いた。
ガーナ人はこんな距離は苦でもなんでもなさそうで、頭にドデカイ荷物を乗せて、スタスタ歩いて行く。炎天下の中は、なかなか厳しいものがある。

が、車がいない時は、歩くしかないので、何度も歩いた。
 
町一番の繁華街(と言っても、50m程こんな感じの屋台が並んでいるだけやけど)↓
   
 
GHSまでの道↓
      

基本的に、穏やかな村だと思う。生活していく上で、必要なもの(食糧とか歯ブラシとかタオルとか…)は、選ぶ余地はないけど、地元のマーケットで手に入る。一応、銀行もあるし、郵便局もあるし、病院もある。娯楽関係は何もないので、わずかな食費と携帯代以外、この町で使い道はない。お金は貯まりそう。
Ghana第2の都市であるKumasiまで車(トロトロという乗合バス:バスと言っても、オンボロなワゴン車、バンくらいの大きさ)で1時間程度という便利さなので、必要あれば、休みの日は都会まで出られる。ネットもKumasiで可能。良かった~
  
  プランテーン畑↓              自然はたくさんあります↓ 裏庭
        

まだまだ2年間、ここで生活することは実感ないけど、きっと2年後にはガーナの中で、ここが一番心地よい町になっているんだろう。(そうなっていくことを望みます…)
 
任地での2週間のホームステイを終えて、また首都アクラに戻ってきた。

2週間、Home Stayをさせてもらった家族。
お父さんのIsrael(30)、お母さんのVeronica(26)、息子のKwabena(2)Veronicaの姪のSandra(14)4人家族。


     

IsraelはNkawieにあるアチュイマ・ンワビアジャ郡唯一の群立病院に勤務する電気技師さん。(電気関係のものが壊れたときに対処する人?詳しくは知らない…)Veronicaは近くの村の小学校に勤務する先生。
とても良い家族で、2週間心地よく過ごさせてもらった。この地域に住む人の中では、かなり裕福なお家で、テレビや扇風機も家にあった。しかし、一般の家庭なので、もちろんジェネレーターなんてものはなく、2日に一度の12時間停電の際には、すべての電気が切れる。ただこの家は水道が通っており、蛇口をひねれば水は出たし、シャワーも毎日浴びることができたのは嬉しかった(もちろん水シャワーだが)。
 
Sandolaだけが親戚なわけで、なぜこんな若くして、両親と暮らしていないのかは尋ねることができなかったが(親が亡くなっているわけではないっぽい)、学校には行かせてもらっていた。とても働き者で、良く家事を手伝っていた。もしかしたら、お手伝いさんのような存在なのかもしれないが、食事などは同じものを一緒にとっていたし、一緒にテレビ等も見ていた。どういう存在なのか、いまだによく分からないが、私はお客さま扱いで、あまり家事を手伝わせてもらえなかったので、彼女にはなんとなく申し訳なかった。
 
彼らにとっての当たり前が、日本でも共通のものだと思っている点が多くあり、情報の少ない社会で生活しているんだということを実感させられた。
ex:
「日本ではどういう風にヤムイモやキャッサバを料理するのか」
「日本では計画停電はどんなタームで行っているのか」
「日本ではカタツムリを飼っているのか(もちろん食べるため‥)」  などなど…
すべて自分たちの生活が基準になってる質問。この家には、テレビやラジオがあるので、まったく世界の情報が入ってこないわけではないと思うが、それでも異国の生活、先進国の生活というのは想像するのが難しいんだろう。文化の発達レベルの違いを、身にしみて感じる。でもそのくせ、「アヤカの携帯には、カメラはついているのか」なんていう、かなりハイテクな質問もされたりする。もちろんJICAから貸与された携帯にそんな機能はなし。。
 
my携帯↓
 
 
ガーナは固定電話がほとんどなく、多くの人が携帯を持っている。Nkawieは決して都会ではないが、ONE-TOUCHという会社の電波が入るため、国際電話もできてしまう。ガーナに来る前に聞いていた「江戸時代に携帯という文明品が紛れ込んだようなもの」という言葉はなるほど納得。
 
フフを作っているところ↓       鶏をさばいているところ↓
                       
 
ステイさせてもらった部屋はなかなか快適だったけど、たまにこんなのがいた…↓
 
この家族には今後2年間も、きっとたっぷりお世話になるんだと思う。なんせ私の勤務先であるGHS(Ghana Health Service:郡に1つの保健局)の隣の家だから、きっと毎日のように会うし、夕飯を御馳走になることもあると思う。何か困ったら、いつでも言ってほしいと言ってくれているし、ガーナの私の実家的存在になってくれると思う。いい人達で良かった。

ガーナの現地食というものがあります。

いくつか食したので、ご紹介。


【フフ】



キャッサバ、プランテーン、ヤムイモなどの粉をすり潰して、練って、お餅のようにしたもの。それをシチューと呼ばれるスープに入れて食べる。フフ自体はおいしい☆と私は思う。しかし、このスープは激辛デシタ…
ガーナ料理、うわさ通り、基本辛いものが多い。辛いもの好きがウラヤマシイ今日この頃。


【フライドプランテーンwithビーンズシチュー】



プランテーンとは、バナナのデカイやつです。でもバナナほど甘くはない。フルーツではなく、主食として食べられている。これは、ほとんど辛くなくて、辛いもの苦手な私でも、全然イケる!おいしい☆
プランテーン、私の主食に決定!!


【フライドライスwithチキン】



以外に、こんな普通のチャーハンのようなメニューもあったりします。でもこれがあるお店は、ちょっと高い印象。あんまり現地食とは言えないのかも。米は日本のように丸い米ではなく、タイ米のように細長く、パサパサしている。味は、店によって激辛だったり、全然辛くなかったりするので、辛いときはハズレだ・・・と凹みながら食べます。


【ボイルドヤムwithなんとか(パルナバ・・・やったかな??)ソース】



ヤムイモを蒸かしたものに変わったソースがかかっている。イモはイモです。ソースは、、うーん、ちょっと苦手だった。これはもう食べない気がする・・見た目もちょっと食欲をそそる!とは言い難いしね。。


【オクロスープwithライス】



これは食べやすい。オクロスープという緑の野菜が入っているスープをご飯やパスタにかけて食べる。この日はモロヘイヤのスープだった。名前からも想像しやすいが、オクラなんかも入ったりする。

今週土曜日から任地に2週間のホームステイをしに行く。

私の任地は
 
Ashanti州 Nkawie  というところ

首都アクラから長距離バスでおそらく5~7時間といったところ。

私は「Ghana Health Service」という、日本で言えば地域の保健所みたいな所で働くことになっている。
事務所の横のお家にホームステイさせてもらう。

ホームステイの目的は、
1、任地を見てくること
2、任地の生活に慣れること
3、ガーナ人の英語に慣れること
4、現地語を勉強すること       etc

5日間、1対1で現地語訓練がある。聞いた話、英語が通じない人がほとんどらしい。。
Twi語という言語を勉強する。が、ムズイ。。
がんばります。。


任地は、とても良いところだと聞いている。
しかし、JICAスタッフ(ガーナ人)曰く、1つ問題が・・・

「周りに何もない」

市場までも、かなり遠いそうで、それが唯一の問題点らしい。
ガーナ人が遠いというのだから、町まで相当遠いんだと思われる・・・
私はバイク貸与予定だが、それはまだ3ヶ月後。そして、今はまだ自転車にさえ、乗ることを許可されていない。

じゃあ、どうやって水や食べ物を手に入れたら良いのでしょう・・・?

現地の人と同じ水を飲むことは、かなり危険と思われるが・・・
下痢になること覚悟で行ってきます・・・!!


↓首都には隊員連絡所という上京している隊員のためのドミトリーに住んでいる。

            


ドミトリーでも、ベッドには蚊帳を張り、蚊取り線香を一部屋2~3個炊き、虫よけスプレーをして寝ている。
本やDVDがとてもたくさんあり、退屈はしない。
・・・ハズなんやけど、夜になると暗いので、退屈な時もあり。。

そういえば、アクラでは電力節約のため、2日に1度6時間の停電がある。
そして、断水もしょっちゅう。断水の時は、バケツに貯めておいた水で皿洗いなんかをしている。

日本って、便利デス。

ガーナの首都アクラはこんな街。
道路はほとんど舗装されていて、車もバンバン走っている。TOYOTAやNISSANなどの日本車もけっこう多い。


 
JICAオフィスの近くのフルーツ屋さん
パイナップルおいしい★さすが南国!



道路沿いに並ぶ露店



よく利用するレストラン(?)
ガーナ料理オンリー。
こういう風なお店は、現地ではチョップバーと呼ばれている。



タクシードライバーのお兄ちゃん達。
左の彼は21歳、右の彼は26歳だそう。
ガーナ人は年齢不詳です。。
同じくガーナ人から見た日本人も年齢不詳なようで、、、
こないだある人には15歳と言われ、またある人には32歳と言われた・・・それ、どっちも嬉しくないって!!

ガーナの通貨の単位はセディ。



現在のレート:1$=92,000セディ

インフレです。

到着した日に空港で100$をセディに両替したら、5,000セディの紙幣が約200枚やってきた。。

札束デス。

マンガの世界か!?というような札束!



財布になんて入りゃしない。

ガーナの銀行は適当なので、きちんと数えた方がいいと言われ、ちょーめんどいっ!と思いながらも、最初やしと思い、律儀に数えたら、200枚くらいあるはずが30枚くらい足りなかった。やっぱり数えねば…
文句を言ったら、さすがに向こうも200枚をカウントするのは面倒らしく、20,000セディの紙幣を48枚、今度はきっちり頂きました。

なら、最初からそれでちょーだいなっ!!って感じ。。


さて、こんなガーナの紙幣ですが、なんと7月にお金大改革があります。
下4ケタの0がなくなり、つまり…1$=約9セディ
分かりやすくなるよーな…でもせっかく慣れてきたころに、また頭を切り替えなきゃならんので、ホントややこしい。。

ただ幸いなことに、ガーナ人はあまりふっかけたりはしてこないんで、そんなに高額をボラれたりということはなさそう。もちろん黒人ではない=richなので、ガーナ人と全く同じ額で…というわけには、まだまだいかないけど、2年の間にきっと交渉術も上達するハズ。



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2007年6月18日から青年海外協力隊(19年度1次隊)、エイズ対策で、ガーナへ派遣されていました。
今は日本でまた病院勤務。
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