ガーナに来て3カ月が過ぎ、自分のまわりに黒人さんばっかりという環境には慣れてきたような気がする。
同じNkawieの町の人でさえ、まだ私を見慣れない。というか、初めて会う人だって、まだまだ沢山いる。そして仕事ではさらにいろんな所に行くので、外国人として存在する自分を自覚しない日はない。「私って浮いている」と常に感じる。
そして、このことがさらに厄介になってくるのが、私がHIV&AIDSに関わる仕事をしているということ。
ガーナでは、HIV&AIDSに対するスティグマが根強く存在している。自分がHIV陽性者だとカミングアウトしている人はほとんどいないと思う。
先日、JICAのHIV&AIDSプロジェクト中間評価のため、ある村へ行ってきた。目的はプロジェクトの啓蒙活動がどれくらいの影響を与えているかを調査するため。ターゲット年齢にある青少年をランダムに選択し、インタビューを行うというもの。質問の内容はSexual Health、HIVをはじめとするSTI、妊娠、Condom Useなどについて。その中には「あなたの周りにHIV陽性者、もしくはAIDSで亡くなった人はいますか?」という際どい質問もあった。私はインタビュアーでも何でもなくて、ただのObserveとして同行した。
その村には、私が知っている範囲で、HIV陽性者が2人いる。HIV陽性者のmeetingやHome visitingに行っているので、彼らはHIVに関わっている仕事をしている私を知っている。私は当日彼らには出会わなかったと思っていたが、彼らのうち1人が私を見たらしい。そして、JICAのシールの貼られたキレイなワゴン車でやってきた総勢10数名の私たち(私ともう一人以外はガーナ人だけど)が何をしているかを、きっと人づてに聞いたのだろう。私たちが私を筆頭に、HIV陽性者がどこにいるかを調査していると思ったらしい。ただでさえ、滅多に外国人なんて来ない村。皮膚の色の違う私の存在はとても目立つ。そして、自分がHIV陽性者だということが周りに知られることを恐れた彼らは、私たちが帰るまで、ずっと隠れていたという。
この話を調査の2日後、彼らをよく知る助産師から聞かされた。
きっと、いや絶対彼らを傷つけてしまった。そして彼らの信用を失っただろう。いろんな人の協力もあって、誤解は解けると思う。しかし、自分がHIV陽性者と接するということについて、改めて考えさせられる事件。予防啓蒙活動もしているので、私がHIV&AIDSについて活動していることを知る人も、今以上にだんだん増えていくだろう。
陽性者をサポートしていきたいと思うけど、彼らと接触することで、逆に彼らの生活を脅かすことにもつながりかねない自分という存在。
外国人であるが故に、とにかく目立ってしまう自分という存在。
日本からはるばるガーナまで来て自分がやろうとしていること、うちは誇りを持ってやりとげてほしい。話に出てくる彼らを脅かす存在になってたのかもしれんけど、今回のようなことに気づけたのも大きな収穫じゃない?自分のこれからの活動の仕方とか、HIVに対する考え方とかも、今までは日本と同じように思ってたのが、今までとは違った見方ができるようになれるやんか★HIVやエイズってすごく繊細な問題でしょ。社会的な評価とかにもつながるし。だからこそ色んな角度から考えることって本当に大切やとおもう。自分がよかれと思ってやってることって、かならずしも相手にとって嬉しいことではないのよね。悲しいことやけど。でも陽性者の彼らがのびのびと生活できるようサポートしたり、やれることはたくさんあるんじゃないかな☆
エイズの方ならそういうことはもっと敏感だと思います。特にアヤカは外国人だから目立つし・・・言葉も通じにくいから難しいけど、エイズの方と接する時は、「仕事として地域の中で、こういうことを(アンケートとか)することもあるけれど、守秘義務は必ず守ります」みたいな説明を一生懸命しておくことは必要なんだろうね。それはどの国でもいっしょだよ。明るくオープンな雰囲気の国であったとしても、難しい病気をもつ人の気持ち、周りの人の偏見、家族の苦しむ思いは同じだと思います。苦しみの内容は環境や社会状況によって違うものもあるけれど、同じ人間だから基本的な思いは同じじゃないのかな・・?
いろんな交流、できごと、事件を通して、お互いが少しずつ成長していきながら、言葉よりももっと心が通じるようになっていくよ。焦ったりめげたりしないで大丈夫!!