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生活のことや仕事のことなど、日々の足跡を少しずつ残してます。
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ガーナの面積は日本の2/3ほどで、観光名所もそんなに多いわけではないけど、世界遺産とされているお城や素晴らしい自然がある。

また北部と南部で気候が違うのも面白いところで、今回は最北のブルキナファソとの国境から大西洋海岸のビーチまでガーナを横断したので、気候の違いを肌に感じ、それぞれの気候によって生み出される自然を満喫。

 

北部はサバンナ気候

比較的南部にある私の任地から車で北上すると、だんだん緑が少なくなり、砂の見える面積が大きくなり、そのうちバオバブの木が見られるようになる。

 

 


北部でよく見られるお家、通称きのこハウス

 

 


ガーナのグランドキャニオンと呼ばれるNakpanduri

「アフリカだー」と実感できる壮大な景色が広がっている。

  

 


ブルキナファソとの国境の村Paga

   

 
日本は島国なので、ある一線を境に国が変わるという国境はなかなか新鮮なものがある。アフリカは植民地時代、欧米諸国により民族関係なく、地理上の都合により国境が引かれたという歴史を持っているため、国境をまたいでも雰囲気が激変するということはなく、地元の人は普通に行き来している。でも、イギリス領であったガーナとフランス領であったブルキナファソ、ブルキナファソに近くなるとフレンチが聞こえてきたり、ガーナではお目にかかれないフランスパンが売られていたりする。

 

ワニも見れる。

 

 


今度は南部、熱帯雨林気候

椰子やマングローブなど熱帯植物の森が広がり、北部に比べるととってもジメジメ・・でも雨が降るのは嬉しい。

 

 


コートジボアールに面するWestern州のAxim

ガーナの海は波がとても高く、青というよりは緑っぽい。
長~く続く水平線の先には南米大陸があると思うと、改めて自分がアフリカにいることを実感する。

 

 
こんな鳥も見れる。

 

 


小さな漁村からカヌーでマングローブの森を抜けて川を上っていく。

 
  

 


ガーナ全土から集められた人々を奴隷として輸出する奴隷貿易に使われたCape Coast Castle

   

 


数日でガーナを駆け巡るのはなかなかハードだったけど、楽しい旅でした

日本から来てくれた彼氏も、良い思い出ができたんじゃないかな~

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今年に入って、小さなきっかけから、孤児を支援しているNGOとつながりができた。

教会の牧師さんが青年ボランティアと一緒にやっている小さなNGOではあるけど、2週間に1回、その村にいる孤児たち20人を集めて、食糧や衣類、文房具などを提供したり、一緒に遊んだりしている。

先月から彼らのミーティングに混ぜてもらうようになり、「Mama Aya」とか呼ばれている。

 

 

牧師さんの希望は、孤児院を設立すること。
今、子どもたちは親戚や祖父母、知人などの家で生活をしているらしいが、十分な食料がもらえなかったり、面倒を見てくれる人が高齢であったりと様々な問題があるそう。社会的に弱い立場に立たされている子ども達を集めて、一緒に面倒を見たいが、まず経済的な問題があり、実現にはほど遠い。土地代、建築費、人件費・・・たくさんのお金が必要になる。孤児院での共同生活を送ることで生じてくる問題もあるだろうし、現在子ども達が、実の親でないにしろそれぞれの家族があり、居場所があるのなら、あえて家族から引き離し、孤児院を設立する必要もないのではないかとも思うけど、きっとまだまだ私にはわからない事情がたくさんあるんだと思う。

 

牧師さん↓      お米を配っているところ↓

    

今の私にできることと言えば、子ども達にお菓子を買って行ってあげることくらいで、Financial Problemを相談されても、自分の貯金を使う以外になかなかお金を工面するのは難しい。きっと日本円でそんな高額じゃなくても、こっちの通貨では大金。一時の支援としてお金を提供することは可能だと思うけど、果たしてそれをすることが彼らにとって良いのかどうか。NGOなど支援団体を見つけることができれば、話は進むのかもしれないけれど、私がガーナにいるのはあと1年3か月で、今後もずっと資金援助をしていけるというわけではない。

当面は子ども達の顔を見に行くだけの「国際交流」になりそう。

 
***************************

 

普段GHSで行っている活動は、どちらかというと「誰かに求められて」というわけではなく、9ヶ月間自分で模索してきた結果の「これだったら自分ができそう。ひいては現地の人のためにも少しはなるんじゃないか」という活動。協力隊は戦争や難民キャンプのように緊急支援が必要な場所に行くわけではなく、一般の人が営む日常生活の中に入るので、日本にいた時に想像していたような「これをやってほしい、あれをやってほしい」っていうことはない。そんな毎日の中で、時々「これをやってほしい、あれが欲しい」と求められる援助。しかし、お金の問題であるほとんどのそれらには、なかなか応えられない現実。

 

国際協力って、国際援助って、何なんだろう。

一緒に結核の仕事をしている同僚のお母さんが亡くなったので、お葬式に行ってきた。

同僚といっても、59歳のオジサマのお母さんなので、なんと100歳の長寿だったそう。


   
一緒に働いているDisease controller↑

 

ガーナのお葬式は、亡くなって1週間後、2週間後、7週間後、1年後に行う。(亡くなった年齢によりこれより増えたり減ったり・・詳しくはよく分らない。。)お葬式の規模も年齢や家柄によって異なる。このあたりは日本の法事なんかと共通するものがある。

でも雰囲気は全く違う。日本のお葬式と言えばしんみりした感じだけど、ガーナのお葬式は、会場の真ん中に故人の写真を飾り、その周りをぐるっと人々が囲んで座る。家族という単位をとても大切にする文化であり、そして大家族なので、来訪者は列を作って、ずらっと並んだ家族一人一人と握手&挨拶をしていく。日本のように何時から始まって何時に終わるというわけではなく、早朝から始まり夜も遅くまで2日間ほど続く。来訪者は好きな時間に訪問し、居たいだけ居て、帰りたくなったら帰っていくという感じ。music大音量♪、ダンスもあり、ビールやジュースは飲み放題、軽食もあり、とりあえず賑やか。

 

 

 ガーナの伝統衣装もお葬式専用の布がある。基本的に黒、白、赤と決まっており、故人の年齢やお葬式の時期、身内か知人かによって、着用する色は異なる。

私も伝統的なものを着た方が良いと言われ、黒い布で作ってみた↓

 

 

 異文化体験な1日でした。

次は、ぜひ結婚式にお呼ばれされてみたい~

 

来月、彼氏がガーナに来てくれることになった。

私がいる国がどんな国なのか見て欲しかった。

私がそこで何をしているのか知ってほしかった。

そして単純に会いたかった。

だから素直に嬉しい。

付き合って6年目。

そのうち遠距離をしている期間は半分以上だけど、それでも一緒にいることを選んできた。

4月にはガーナに来て約10か月になる。

会えなかった時間は長くて、電話こそできるけど、やっぱり日本とガーナ、この距離は遠くて、すべてが順調な2人というわけではなかったけど、今度のガーナ滞在が自分たちにとって何か1つのきっかけになればいいな~と思う。

最近、地面によく綿が落ちている。

それもけっこうデカイ。タンポポの綿毛の3~4倍はあるかな。

  


ガーナは野良犬がそこら中にいるので、最初は犬の毛が生え変わる時期なんかな~とか思ってた。でも、それにしては抜け過ぎ…どんだけ犬がいるのよ!?って思ってた。

 

綿毛の持ち主はこの真ん中の大木↓

 

この木にたくさんの綿がなっている(表現正しい?)

綿のなる植物と言えば、綿花だけだと思ってたからビックリ~

 

日本で綿毛が飛べば、すっかり春でポカポカ穏やかな陽気♪っていう感じですが、、

今こっちは猛暑デス。

汗が絶え間なく流れ、ついでにせっかく塗った日焼け止めもすぐに流れ、水分摂取量もどどーん!と増加。水が必要なのに、雨が降らないから水がなくなる。井戸からせっせと水を運んで生活用水を補充。少々濁ってようが、虫が浮いてようが、そんなのあんまり気にならなくなってきた(^^;

 

乾季の中でも、3~4月がもっとも暑い時期と言われ、この時期さえ乗り越えれば・・今が正念場!!

私の任地は南部の方だから、北部の隊員さんに比べたらまだマシなんやけどね。。でも暑いもんは暑いんですよ・・

今、Community Health Volunteers:コミュニティー ヘルス ボランティア(村民の健康管理のお手伝いをしている人。村によって、彼らの働きには大きく差がある。)とSHEP Coordinator:シェップ コーディネーター(小・中学校に1人配置されているHealth担当の先生)を対象にしたワークショップを企画している。

医療機関の数は決して多くなく、一つの医療施設が数十個のコミュニティーを管轄している。管轄していると言っても、定期的に車が通っている村はともかく、行く手段が徒歩しかない村などでは病院に行くのも大変なこと。自己判断で自宅療養、自己治療を試みる人も多い。そんな村では、コミュニティーヘルス ボランティアや学校にいるシェップ コーディネーターの存在がとても重要になってくる。彼らがもう少し医療に関する正確な知識を持つことができれば、村人や子どもたちの健康管理方法を学ぶ機会があれば、患者のトリアージをすると同時に、もっとコミュニティーべースで健康に対する意識が高まるのではないかと思う。またHIVを含む性感染症などはプライバシーやスティグマの問題が伴い、外国人である私が話すメリットもあると思うが、やっぱり私は「よそ者」であり、さらに言語の問題もあるので、実際に村人たちが頼りにできる存在は彼らになる。タブー視されがちな話題であるが、村で一目置かれた存在の彼らが指導することで、受け入れられやすくなることも期待される。

こういったバックグラウンドから、私が企画書を作成し、先月末上司に提出した。全く私の企画通りに実現可能なわけではないが、「It
ll be possible」となかなか良い反応がもらえた。いつも厳しい上司なので、とても嬉しかった☆

ただ…ここにきても問題はやはり “お金がない” ということ。
JICAがサポートすべきよ!とダイレクターは言う。しかし、GHS主催の1つのプログラムとして、これからも是非定期的に開催していってほしいと思う私としては、JICAの援助を受けて開催してもなぁ・・と思う。そして実際問題、JICAのサポートを受けるのは難しい。

 

どうなるかなーー

実現できるといーなー・・・

 

My Office↑ 

オフィスワークはいつもここで。

3月6日は、ガーナの独立記念日でした。

51年前、ガーナはイギリスから独立を果たした。

植民地化されていたアフリカの諸国の中で、最も早い独立だった。ガーナの独立後、次々に他のアフリカ諸国も独立を果たしたが、紛争や深刻な飢餓、疾病に苦しんでいる国は少なくない。独立以降、特に大きな争いごともなく、民主的な国家が建設されたことを、ガーナの人々は誇りに思っている。ガーナの人々の愛国心の強さには頭が下がる。ガーナの国のために、何かしたいと考える献身的な人も多い。

私はもちろん日本は好きだけど、日本人として、日本に対して何ができるだろうなんて、ほとんど考えたことがない。ガーナ人が特別なのか、それとも私が日本国民としておかしいのか・・きっと日本人以外からしたら後者。それでも、「あなたのNationalityは?」と聞かれたら、「JAPAN」と答える。


国家レベルで何かするって難しいこと。でも、ガーナの人々を見ていると、その国の国民として、国を愛することって国を創り上げていく原動力になっているよなぁと感じる。ガーナは、これから発展していく国だなぁと思う。

 

独立記念日には、ガーナ全国でマーチングが行われる。

 
  

村や町単位でも、広場に学生が集まり、鼓笛に合わせマーチング↑

この行進が学校により少し振り付けが違ったり、ガーナ独特な歩き方だったりで見ていて楽しい。

 

今年は大統領選挙も行われる重要な年。

ガーナが国際社会において、どのような位置に置かれているのか?外交は?そして、そのことがガーナの人々の暮らしにどういう影響を与えているのか?等、一応、国際協力というフィールドの端っこで活動している人間として、もうちょっとそういう視点でもガーナを見つめて考えてみようと、学生たちのマーチングを見ていて思いました。



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2007年6月18日から青年海外協力隊(19年度1次隊)、エイズ対策で、ガーナへ派遣されていました。
今は日本でまた病院勤務。
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